日夏露彦さんと電話

で話した。僕は芸術高校で、平山郁夫のような絵を描いていた。そしてうんざりし、日本画を止めて油絵の画家になった。日夏露彦さんは、中島という本名で、親、兄弟は日本画家である。一番、絵が上手かったのが日夏露彦さんだった。しかし、描いていると、いつも、平山郁夫のような絵になってしまうので、イヤになり日本画を止めて美術評論家になった。そんな話をした。